スピリチュアルは胡散臭い?

こんにちは~(*´∀`*)今日はスピリチュアルについて・・・というよりスピリットについてお話していきます。あなたは「見えないもの」についてどう思いますか?

 

スピリチュアル(spiritual)とは

キリスト教用語(spiritus:息・呼吸・魂・勇気・活気という意味のラテン用語由来)

意味:霊的であること・霊魂に関する・精神的な

こんな感じの意味ですね。これを使って胡散臭い仕事をしている人も少なからず(いや、かなり多く)おられるみたいですね~。ご苦労様です。ちなみに私も「どんなもんじゃろ」と興味本位で行ったことが数回ありますけど、まあ自分が見えるわけでも聞こえるわけでもないので「よく分からん」で大体終わります。しかし、みんなから大体同じようなことを言われるので、「まあ自分の進む道がズレていないとうことで!」という確認作業にはなりました。

確かに、そんな胡散臭いことして金儲けをしている人もそこら中にいるだろうし、「神」や「魂」と聞くだけで拒否反応で鳥肌がたつ人もいるでしょう。私もスピリチュアルを勉強していた時にかなり胡散臭い目で「宗教ぽいね」と言われたことがあります。まあ宗教の要素は入っているのでその通りなんでしょう。しかしながら、手塚治の漫画本「ブッタ」の知識しかない私には宗教について語る資格などどこにもないのですが。

あるヒーラーさんが、「みんな助けて欲しくて来ているのにそんなに悪質なことをするなんて許せない」とおっしゃってました。こちらが「まあまあ、そう熱くなりなさんな」となだめたくなるような熱い方でした。確かに騙す人はいるのでしょうし騙される人もいるのでしょう。でも私はどちら悪い、どちらが悪くないという問題ではないと思うのです。つまりお互い様であるという考え方です。これは「ほらほら人を信じるからこうなるのよ」と言う意味ではありません。騙される人も「神様がなんとかしてくれる」「この人の言うとおりにしていたら大丈夫」と相手に全体重で寄りかかろうとするから変な宗教団体や変な占い師に引っかかったりするのでしょう。「この石であなたは幸せになれます」とか「神に望めば全て上手くいきます・・・ではお布施を」みたいになのにね。我欲のために人を騙くらかしている人は早かれ遅かれ自分の身をもって償うことになるのですから、周りの人が責める必要もなんか何もないのです。「正義」を語ろうとすると必ず「悪」が存在するでしょう。この何かを否定し、排除しようという気持ちから争いに発展してしまう。正義の中にも悪はあり、悪の中にも正義はあります。だってどんなに悪いことをしている人だって大切にしている誰かがいるでしょうし、悪を倒した正義の味方も「初めから悪がない方が皆の為なのでなかったことにしてあげましょうか?」と言われたら自分が成し遂げたこと、皆からの賞賛もすべてなくなってしまします。心から「是非そうして下さい」と言える人が何人いるのでしょうか。

何が言いたいかといいますと、「自分の選択」が全てだということです。私は神の存在を「ソース」というエネルギー体と捉えていますが、このエネルギーの一部は私達の中にスピリットとして存在します。「スピリット」をもってない人なんて一人もいないでしょう。つまり「願いを叶える力は私の中にある」と言うことなんです。あなたの人生を豊かなものにするのも、つまらないものにするのも、最低なものにするのも他ならないあなた自身です。

かといって、「自分の願いは自分で叶えることができる」と思って自分は何が欲しいんだろう?自分の理想の生活はどうなんだろう?と考えても「じゃあやってみよう」とはならない人は大勢いるでしょう。みんな口を揃えて言うんじゃないでしょうか。「だってもっと悪くなるかもしれないし、何の確証もないじゃないか!」

「目に見えないもの」を人はなかなか信用できない傾向にありますからね。

「目にみえるもの」でないと信用するのが怖いからです。ですから「こうしたら90%以上の割合でこうなる」などのデータや、目に見える物質的なもの(お金など)が先に提示されないと安心できない。

「愛」「勇気」「信頼」「幸せ」など本来人が欲するものは全て目にみえないものです。それらを信じることができないからこそ、人は疑ってしまったり、見返りを求めたり、非難したり、人やお金など物質的なものに執着したり、自分の本心から逃げてしまったりして苦しむのではないでしょうか。私は「自分を信じる」からこと、自分がしたいことにチャレンジする勇気を振り絞ることができるのでしょうし、困難や失敗があっても、これを自分の課題としてもっと魅力的になるチャンスだと捉えることができる。また目の前にいるのは「敵」ではなく「仲間」なのだと気づき信頼する勇気をもつことができるのだと思っています。困難に出くわした時に自分に100%頼れるようになったら人生怖いもんなしです!あなたはどれくらい自分愛をもち自分を信じることができていますか?私は人生39年目にしてようやく「自分を見いだすこと」「愛とそれを支えるための勇気と智慧」「人生を楽しむという心意気」がとても大切であることに気づきました。まだまだ道のりは長いですが、自分の怠け心や恐れと向き合いながら日々勉強しながら皆に伝えていく準備を楽しんでいます!

争いのない調和した未来がくることを心から願っています。最後まで読んで下さりありがとうございます(*´∀`*)

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