♡楽しい人生のススメ♡~「死ぬ」って怖いこと?~

こんちには!今日は「死」についてちょいとお話しようかなぁと思っています。

皆さん死ぬのが怖いとか思ったりしますかね?どうでしょうか。

なぜ死についてお話したいのかというと、日常生活のの不安や恐れのベースが「死への恐れ」にあるという話も良く聞きますが、私もそう思っているからです。

たとえば、「お金がない→生きていけない」「人から嫌われる→生きていけない」

などです。人間関係を日常的に死と関連させて考えている人は少ないかもしれませんが、なぜ人間は社会をつくるのかというと「一人では生きていけないから」です。一人で仕事をしている人でも、全てを誰の手も借りずに一からをつくり出している人はいないと思います。また、みんな赤ちゃんを経験してきていると思いますが、赤ちゃんはお母さんや育ててくれる誰かがいないと生きていけませんよね?大人になったら忘れてしまいますが、子どもの時はしっかりそれを感じているからこそ色んな方法で親の関心を引こうとするわけです。つまり無意識に根付いているわけですね。

なので、不安がない程度の安定した給料と、人から好かれる人生を生きたいと思う人は結構な割合で多いんじゃないでしょうか(笑)

そのこと自体は悪いことではありませんが、周囲の人・仕事・お金などを中心に置いて、「安定している職業ならなんでもいい」「仕事できない奴と思われたくないからもっと頑張らないと」「お金さえあれば幸せになれるのに」などそこに自分を合わせるようになってくると話は変わってきます。なぜなら自分が望んでいない方いない方にどんどん頑張らなくてはいけなくなって生きにくく感じてしまう人もいるのではないかと思うからです。人生は生前からあなた自身がプランニングしています。折角「あなた」が自分のためにプランニングした人生をそのまま終わらせてしまっては勿体ない!と思うのでちょっと誕生と死にについてお話したいと思います。

まず、「魂」は死なず永遠に存在します。

一般的な私たちの言う「死」は物質的肉体の死です。私たちの人生は今回1回きりというわけではなく、前世から後世に渡り繰り返されるもの。つまり前世からの課題(カルマ)に対し、その負のカルマを解消するために必要な学びとなるシナリオを自分で作成しそれに見合った人(親や兄弟も)や環境も選択します。そしてその記憶を消した上で赤ちゃんとしてこの世に誕生すると言われています。そのプランニングする際に「こういう見た目にしよ!」と決めた車のようなものが肉体でありその消滅をもって死とします。つまり、生前は物質界に縛られない「生」の期間であり、生後は物質界での「生」ということです。そして、肉体から魂(意識)が出ていくとより鮮明に「自分」を感じるようになります。(さくらももこさんは出産時の麻酔でこれを体験したと書かれてあります)私たちは3次元での「死」を迎えるとアストラル星や幽界とも言われるところへ行きます。そしてアカシックレコードというデータベースにアクセスして人生すべてを振り返るためのライフレコードスクリーンで自分のすべての人生で起こった出来事とその時の感情などを映画をみてるように追体験します。(これは退行催眠療法臨死体験した人や魂の法則などでも語られています。)

相手に与えた痛みや悲しみは自分の立場でではなく、「相手の立場」で体験します。

その後はみんなが同じ場所に戻るのではなく、自分の波動レベルにあった霊界(魂の故郷)へと移動します。

上層:意識的な進歩段階であり魂の進歩を手助けすることに注力する魂                     中層:中間的な進歩段階であり、転生している魂の大半はここにいく                   下層:我欲にまみれた霊性進化の乏しい霊魂がいく(地獄ではない)

そこで次の自分の人生のプランニングをするわけです。こうやって輪廻転生を繰り返し、肉体化する1回1回が特定の課程を評定する機会で、合格すれば次の課程への進め霊的次元で新たな教えを学び始める。誕生の際に記憶を忘れるのは現在の人生の目的に集中するため、覚えていると自由意志で行動する妨げとなるためです。

ここで大切なことなんですが、何をもって魂の次元があがるのか?それはどれだけ愛に基づいた生き方をしたかにより決まります。

あなたは財力や名誉、地位、能力などで自分や他人の価値や幸せを決めていることはないですか?自分と他人を比べ優越感に浸ったり劣等感に苛まれたり。                    

こんなことしているのは、レベルの低い3次元だけの話であり、5次元以上は不安や恐れなどの感情や争いはない愛と調和の世界と言われています。

ここで死んだ後の魂のレベルなんてどうでもいい!私が欲しいのはここで生きてる間のお金や人に嫌われない平凡でも安定した生活だ」と思う人もいるでしょう。

勿論それでもいいんです。人の人生を他人が良い悪いとジャッジすることに何の意味もありません。本当に自分が幸せであれば何でもOKなんです。

本当に名誉やお金、人の評価を得た人は全て幸せになっているのでしょうか?勿論その中で幸せになっている人もいるでしょうが、それは決してお金があるからとか人から羨ましがれているなどで得られるものではないと思います。

人から評価をされるためにどれだけの本音を隠し自分らしさを犠牲にしてますか?

人に羨ましい生活をしていると思われたいが為にどれだけ自分の幸せなところをアピールして生きなければならないのでしょうか?

周りを敵とみなし競争の中で勝ち取った昇進はみんなで心から喜び合えるものなのでしょうか?

人と比べたり、競争をすると嫉妬や羨望、絶望、自己卑下、焦り、恐れ、不満などのネガティブな感情が必ずといっていいほどおまけについてきます。  

それって疲れませんか?ってことなんです。    

ここで言っている愛に基づいた生き方というのは他人から評価される素晴らしい人間になれと言うことではありません。自分の本音を知り、その自分の思いを大切にし、自分らしく生きることが今世の目的であり自分が一番輝く生き方です。そして自分の欲求を求める事は誰かの犠牲を伴うと罪悪感を感じている人もいるかもしれませんがそんなことは決してありません。相手はどうでもいいではなく、相手にも思いやりの心をもち、お互いで妥当なところはどこか話し合えばいいんです。一人一人がそう言う気持ちで生きていけたら誰も不幸になることはありません。人は自分が幸せを感じて入れてこそ、相手の幸せを素直に喜ぶ事ができます。そんなものではないでしょうか?

正直私は今世で宇宙レベルでの自分を体験していないので死から誕生までのことなど分かりませんが、人が「今」しか体験できないことは知っています。どんなに過去を後悔しようが、未来を不安に思おうが「今」しか体験できないですし、未来を創るのは「今この瞬間のあなた」です。

是非、自分を幸せにする人生を選択してあげてください。「本当は私はどうしたいの?」って声をかけてあげてください。必要のないエゴは捨てて本当になりたい自分を理想に楽しく生きて下さい。そうすればきっと今まで当たり前だと思っていた毎日が感謝することで満ちていることにも気づけるはずです(*´∀`*)

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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