アサ子という女
アサ子は7年前に91歳で他界したうちの祖母である。
アサ子は自分の事が大層好きな女で、自分が生命保険会社で働いていた頃の表彰状らしきものを家中に飾っていた。
アサ子は人にお金を使うのは嫌ったが、自分にかけるお金には糸目をつけなかった。
体内の水分10%くらいしかないんじゃないかと思わせる砂漠のような肌に、1日中梅干しを咥えているんじゃないかという口周りをしておきながら、高価な化粧品や健康食品など、老化に対抗するための必需品をやたら買いあさっていた。
そして、アサ子は人の悪口が大好物という嫌な性格をしていた。
アサ子の手にかかれば、近所の住人を鬱にさせることだってお茶の子さいさいである。
私は成績も行儀も良い子どもではなかったので、何かにつけ「〇〇家の人間が・・・」と、何か素晴らしい偉業でも成し遂げた家系かのような押しつけがましい説教をされた。私はいつの頃からかこの祖母が大嫌いで学生時代は大いに反抗した。
そして反抗すればするほど、祖母の怒りの矛先は母親に向かった。
その頃の私は、家族全員が嫌いであったため、誰にどれだけ被害が及ぼうとも構わず反抗を続けた。
他人事で申し訳ないが、早く父が他界し、祖母から母を守る者はおらず、さぞ辛い思いをしただろう。アサ子の唯一の弱点は4人の息子たちだった。
こう言ったら、父はさぞかし包容力がある男で、いつも母を守っているように聞こえるが、私の父親はあの悪名高いフリーザの「わたしの戦闘力は530000です」と大差ないほどの破壊力をもった男だ。この男が生きていれば、私の人生に反抗期はなかったに違いない。反抗するのも命がけだ。
話を祖母に戻そう。私が24歳くらいの時、母親が祖母との暮らしに現界を感じ、祖母が叔父さんの家に引き取られていった。
私は見送りもせず、もう金輪際関わりたくもないと清々した。
それから数年後、アサ子が認知症らしいとの情報をうけ、アサ子も歳と環境の変化には敵わなかったかと、私は大いに笑った。
ある日、そのアサ子が1泊うちに預けられることになった。
その日は仕事も休みだったため、私に昼間アサ子の面倒をみる役割が与えられた。
私とアサ子はテーブルを前に横並びに座って一緒にテレビを見ることにした。
アサ子はテレビに障害をもった人が出てきたりすると「出来そこないがでている」と人としてどうなんだという発言をしながらこっちを向いて笑っていた。
そして、代わる代わる数枚の預金通帳をバックから取り出し「こっちには・・・円あるね、どれこっちには・・・円ある」とニヤニヤしながら私に見せ、私がむやみやたら人前で通帳を出すもんじゃないと忠告すると、「そうだね」と通帳を仕舞い、また数分後にゴソゴソと通帳を取りだし同じ行動を繰り返すのだった。
しかし、不思議なもので、あれだけ嫌っていたはずなのに、数分前のことも忘れニヤニヤしながら同じ行動を繰り返す姿も、人としてどうなのかという発言をする姿も面白くもあり可愛くもあった。それは、私の中でアサ子の性格を「良い・悪い」で判断するのではなく「アサ子はこういう人」として受け入れることができたからかもしれない。
それからまもなくして、アサ子が白血病で入院しており、状態も良くないとの連絡がはいった。
数日後に92歳の誕生日も控えていることもあり一旦退院する予定ということ、面会に行っても殆ど寝ているため、距離も遠いし面会に行かなくてもよいだろうと母から伝えられた。私は一応看護師の端くれである。母は暢気に話しているが、嫌な予感しかしない。その日のうちに姉と2人でアサ子に会いに行った。
ベットに横たわっているアサ子は、かなり衰弱していた。全く声かけにも応じない。私が無理矢理たたき起こすと少し目を開け笑った。食事も全く入ってないらしく、本人がアイスが食べたいというので、アイスを一口食べさせると「美味しい・・・」とニヤッと笑って喜んでいた。しつこく私が話しかけると徐々に話すようになり、一緒に笑った写真を撮ったりして少しの時間を過ごした。
私たちが帰る時、アサ子は何度も私に手を伸ばしてきた。
「もう少しで退院だから。またくるよ」と言っても何度も手を伸ばしてきたが、
私も予定があったため、それ以上病院にいるわけにもいかず病院を後にした。
病院をでて2時間程度した頃だろうか、アサ子が息を引き取ったと母から連絡をうけた。アサ子はこれが最後だと分かっていたのかもしれない。私はあそこで帰ったことを心底後悔した。
あれだけ性格の悪いアサ子のことだ。死んでも誰からも悲しまれずむなしい最後を迎えるに違いないと確信していたのに、あれから7年たった今、私の家にはアサ子との写真が飾られており、毎朝アサ子に挨拶をするのが習慣になっているのだから笑うしかない。
今スピリチュアルや心理学を学んであの人の人生を振り返ると、「自分の人生を真っ当する」ということはこういうことなんだろうと思う。人からどう評価を受けようが、どういう人生になろうが、自分の本音で行動し続けたアサ子の人生には感服する。
私も、自分の置かれた状況を世の中や周りの人のせいにして悲観する生き方をするのではなく、常に自分の幸せのために自分の本音で行動し、その責任も自分で負う自立した人生を送っていきたいものだ。