やたら勝負したがる話
私はやたら何かと勝負したがる。
かの有名なアドラーも言っているが、兄弟の下の子は生まれながらに兄・姉というペースメーカーがいるため競争するのが当たり前の状態なのだ。
それが私の人生にとって意味のあることならいいのだが、度々意味のないことにも勝負を挑んでしまう。
理由は分からないが、これが生まれもった次女の習性というものか。難儀な話だ。
今回、私が勝負をしたのは、場合によっては強敵となる「尿意」である。
先日、退職時お世話になった方々に渡すお菓子を買いに出かけた。
なにせ今までお世話になった方々にお渡しするお菓子だ。
そこいらで買った昔懐かしい駄菓子を渡す訳にもいかず、Google先生に相談しながら、「普段自分で買うにはちょっと高いけど、貰ったらテンションあがるよね~」と言って貰えるお菓子を求めて、いそいそと都心のデパートへ足を運んだ。
いや~都心のデパートは素晴らしい。
私が求める、「普段自分で買うには・・・・あがるよねぇ~」のパラダイスである。
しかし私はどこぞの金持ちのご婦人ではない。
「ちょっとそこのあなた。この洒落たお菓子を全て頂戴な」とかっこ良く言えるわけもなく、電卓と財布を両手に持ち、血眼になって予算で買えるお菓子を探さなくてはならない。
「これは何個入だから一個の単価が・・・100人だから・・」
「色々入っているのはいいけど・・・クッキーとフィナンシェでは取り合いで喧嘩になるに違いない。単価が高い方が人気があるに違いないからな」
などとぶつくさ言いながら、血眼になって電卓をたたく不気味な姿は、店員さんに言わせれば営業妨害以外の何ものでもなかっただろう。
周りの店の店員も「あいつと目が合えば次はうちの店に来るかもしれない」とヒヤヒヤしていたはずだ。
こうして、営業妨害をしながらも、洒落たお菓子を見つける事ができた私は、ホクホクした気分で店員からお菓子を受け取った。・・・まではよかったが。
なぜ購入前に気づかなかったのか。100人分のお菓子はでかくて重い。
意気込んで最初に購入してしまったが、これを持ち歩くのは至難の業である。
しかし、せっかく電車に乗って都心まで出てきたのだ。
これだけ買って家に引き返すのは勿体ないと思ってしまうのが田舎魂だろう。
お店に預けることもできるだろうが、他の買い物にウキウキしたら最後。 きっと私は、このお菓子の存在をきれいさっぱり忘れ、家路について思い出し、店に預けた事を生涯後悔し続けるに違いない。
人は皆予言者である。38年も自分と付き合っていると、自分が未来起こすであろうミスもズバリ言い当てることができるようになるから不思議だ。
というわけで、私は腕の動脈を圧迫するヘビー級の荷物を持ち歩く決断をした。
そしてこの決断が尿意との戦いの幕開けになるわけである。
重い荷物を抱え、私がこれから色々見て回ろうとした矢先、尿意が私に襲いかかった。
私は1日2・3回くらいしかトイレに行かないのに、それがなぜ今なんだ。
怒られるかもしれないが、多分やりたいことができた矢先に「癌です」と言われた患者はこういう気持ちなのだろう。
ちなみに私が病院で「2、3日が山です。最悪の状況を視野に入れてください」と告知され時の反応は「結局オカマバーにも行ってない」だった。
あの時死んでいれば、しょうもない人生で幕を閉じていたことが明らかである。神様に感謝しなければならない。
こうやって、すぐ話がズレるのも私の悪い癖である。尿意との戦いに話しを戻そう。
普段ならすぐトイレに行くのだが、なんせ100分のお菓子を置けるスペースはトイレの個室にはない。直接でないにしろ食べ物をトイレの床に置くのにも抵抗がある。
私は、職業上いつでもトイレに行ける訳ではないので、尿意を我慢するのには慣れている。なので、すたこらさっさと電車にのって家に帰れば間に合いそうなものを
「はは~ん勝負だね。わたしゃ尿意を我慢したまま都心を満喫させてもらうよ」
となってしまうのが次女の性である。
この勝負の勝敗は、十分に都心を満喫し、家のトイレまで我慢できれば私の勝ち。
我慢できず漏らすか、お菓子をトイレの床に置くことを許した場合尿意の勝ちである。
しかもなぜだろう。こういう時に限って興味のそそられるものに出会うのだ。
憎き尿意が、私との勝負に勝つために私に幻想をみせているのかもしれない。
私もはじめは「ふふん、これくらいで私を失脚させれると思わないでよ~」と意気揚々と買い物をしているのだが、次第に尿意も勢いを増してくる。
気を抜いたら最後、人の体を打ち抜く勢いで私の尿道口からおしっこはあふれるだろう。こんな時に後ろから「わっ!!」とか言われた日には、最悪の形で私の敗北が決定づけられるだろう。
しかし、私は勝負は勝ちをとりにいくタイプである。
こんなところであっさり負けを認める訳にはいかない。
床にしゃがみ込み、下の段に飾ってある雑貨を選ぶふりをしながら尿道口に力を入れて抵抗する。「ぐぬぬ」とか「はぁはぁ」と意味不明な言葉が口から漏れるが、周囲の人に怪しい人だと通報されないために、頑張って顔だけは平静を保つ。
それでも尿意が治まらないため、頭の中で昔懐かしいB'zの歌でも歌ってみたりして、尿意から気を逸らせようとするが一向に尿意は治まらず、「ほれほれ、これでもか!」と勢いを増すばかり。
ここまでの攻撃を受けると、頭で歌っていたはずのB'zの歌も口の端から漏れ出してくる。落ち着きを失い、目は四方八方にキョロキョロ動き何処をみているのかさっぱり分からない。足にも力がはいり、変に内側に曲がった足で突っ立っている私の姿は、決して人に見せて良いものではなかっただろう。
もし子どもが見ていたら泣いていたかもしれない。
認めよう。今回は完全なる私の敗北である。
私は、すたこらさっさとトイレへ急ぎ、迷わず荷物を床に置き、排尿を済ませた。
この時の気持ちをなんと言って良いのか分からないが、天国とはまさにこのことを言うのだろう。すべてが解き放たれた瞬間だった。
結果、勝負には負けたが、清々しい気持ちで買い物を再開し、楽しく家路につくことができた。
この勝負に何の意味があるのかは分からないが、尿意に勝負を持ちかけられた時、私はまたこの勝負に乗っかかってしまうのだろう。次女なのだから仕方ない。
もし、「何で私は争いたい訳ではないのにいつも勝負しちゃうんだろう?」とお悩みの方がいれば、それは長男・長女ではないからであろう。(一概に言えないが)
しかし、勝負をすることは決して悪いことではない。
何を相手とし勝負をするのも自分が楽しめればいいのだ。自分の成長に繋がるのならなおさらいい。
ただ、勝敗や人の評価で自分の価値を決めるようになってくると話は変わってくる。
本来、人は成長(優越)を望む生き物である。
しかし成長するという目的が、いつしか勝つことに執着し、他者評価を得るという目的にすり替わることで、自分と他者を上下で判断するようになり、自己卑下・妬み・不安・恐れ・嫉妬・失望・焦り・絶望などの負の感情を抱えるようになるだろう。
それはとても楽しめる状態ではなく、本来自分はどうありたいのかすら見失う原因にもなる。
勝負は、自分も相手も傷つけないことを意識しながら楽しくやっていきたいものだ。