♡楽しい人生のススメ♡ ~『無職』なんて怖くない!自分に言い訳をしない生き方~

 

※これは「一生無職でいい」という話ではありません!

 

本日から私は人生で3度目の無職を経験している。

よく、仕事を辞める前に周りの人に

「辞めなくてもよくない?お金どうすんの?」

「次の仕事決まってないのに辞めるの?勇気あるね」

なんて驚かれたり、呆れられたりした。

母親が看護師を辞めることを知った時なんかは、停止ボタンを押したように止まってみせるという見事な演技を披露してくれていた。母よ、やるではないか!

 

私は、看護師という仕事に就いて11年経過したが、看護師になる前も私は無職だった。

その前は会社員を3年程度経験したが、その前も私は無職だった。

 

3度目ともなると無職の達人とまではいかなくても無職の玄人にはなっているはずだ。

その玄人に誰も「すごい!もうプロじゃん」なんて褒め言葉は言ってくれず、さっき言書いたようなことを言われるばかりでとても悲しかった。

(最近は応援してくれる人もいて嬉し涙で枕をぬらすことも少なくない)

 

「今後お金が底をついて生活していけなくなる」という状況を恐れて助言してくれているのだと思うが、私は今まで生活できなくなった経験など一度もしたことがない。

多分、私の心配をしている人達も本当に生活ができなくなった経験など一度もしたことがないだろう。

 

それなのに、人は、体験もしたことがないことを「~なるに違いない」と確信して不安になっていることがよくある。

これは幼い頃から親に言われてきたこと、学校での教育や、テレビからの情報を何度も繰り返しすり込まれて「そうなる」と思い込んでいるだけである。

 

 無職期は自分が好きなことだけしていれば良い期間であり、自分のしたいことを探したり、自分の内面とゆっくり向き合うことのできる重要な期間でもある。

無職を前向きに捉えるとこんなに素晴らしい期間になってしまう。

私は最近、少しずつ楽観的に考える事ができるようになり、気持ちも楽になった。

 

では、今まで無職期の間の生活はどうしていたのかというと、私の場合は親から面倒を見てもらっていた。

それを人は「なんと?!親に甘えているだけではないか」と言うかもしれない。

まさにその通り!親のおかげである。うちの母親はなかなかやるあっぱれな女なのだ。

 

「親に面倒を見て貰う」という私が以前とった一つの選択も、その時の生きる方法を自分で選択しただけである。

もちろん親に断る選択肢もあることを忘れてはいけない。

 

まあ、今回の無職では、しばらく自分で生活できるところからスタートできた。

ということは、以前の私より成長したということであり喜ばしいことである。

 

では、私が一旦無職になってもいいから「手放したかったもの」と「手に入れたいもの」は何か。

 手放したかったものは、

「今歩いている人生を選んでいるのは自分自身」ということにも気づかず、不平不満を言い続けて、自分が傷つかないように庇い続けて、心から自分を愛することも信頼することもできない自分

勿論、自分を愛せない人は他人も愛せない。

自分を信頼できない人は他人も信頼できない。

自分が持っているものしか人に与えることはできないからだ。

 

そして手に入れたいものは

「どんな自分も、どんな状況も受け入れ、その中で自分の幸せを選択していく生き方」

で、これを楽しみながらやっていけたら素敵だなと思う。

 

 もし、将来に不安や恐れを抱き、「お金」「仕事」「人間関係」にしがみついている人(執着しているともいう)がいたら、その人の気持ちはすごく分かる。

でも伝えたい。

あなたが選択した生き方に間違いは何一つない。

しかし、その選択で今幸せでないのであれば、今すぐそれらを手放してもらいたい!

 

そういう私も30歳を超えた時あたりから、収入が安定した職を手放せなくなっていた。

しかし、手放せないながらにも、

・なぜ上を目指したいと思わない仕事を続けているのか?

・なぜいつまでたっても自信がつかないのか?

・なぜ自分と同じ努力を相手にも求めたり、仕事中こんなにもピリピリするのか?

・なぜ自分が選んだ仕事にも関わらず、委員会活動・研修・看護研究など様々な業務 に対し、やらされていると感じ愚痴ばかりでるのか?

・今の仕事の魅力は何か?

・本来私はどうありたいのか?

などの疑問が頭をよぎる瞬間が多々あった。

 

数年間、この自分への疑問を無視して

・将来親の面倒を見なくてはいけないからこの収入は必要だ

・仕事がきついのは当たりで他の仕事でもっときつい仕事は沢山ある

・好きな物も買え、食事でもある程度なら贅沢でき、退職まで働けば老後は安泰

・他にやりたいこともないし、やりがいを感じる時もあるからいいじゃないか

・そんなに幸せって訳ではないけどこれが普通でしょ

 という言い訳をずっと、ずーーーーっとしてきたのだ。

 

なぜ本心から感じていることでなく「言い訳」だと言いきれるのか。

本心であれば、私は十分に満たされている状態ということであり、毎日の幸せに感謝しているはずだからである。

 

つまり、本心か言い訳かは「普段の自分の在り方」ですぐ分かってしまうのだ。

 

では、何のための言い訳なのか?

「今の自分のままでいるため」の言い訳である。

今幸せを実感していない自分のままでいることを望んでいるということは、どういう意味かというと「幸せにならないことを私自身が望んでいる」

ということだ。

そんなバカな話があろうか。何のために?

得することがあるからである。

例えば「楽だから」

今までの嫌な事への対応なら幾度となくやってきているのでどう対応すればよいのか私は知っている。

したくない業務や勉強は愚痴を言いながらやればいい。与えられる役割が多いほど、ストレスは溜まるが「私たちばっかり」と文句を言い合いながらも「自分は必要とされている」という安堵感や優越感に浸っているのだ。

いくら愚痴を言おうがクビになることはない。それどころか「頑張ってるよね~」とねぎらって貰えるサービス付きだ。

異動した時の居心地の良くない人間関係だって、自分の時間を削り嫌というほど勉強しながら、空気をよむコミュニケーションさえしとけば1年~数年後には職場で大声上げて笑える立場まで上り詰めることができる。

「したいことが他にあればね~」と言っておけば、したいことであればもっと自分は輝けるという可能性も残しておける。「好きなことはあるけど好きなことを仕事にすると逃げ場がなくなる」なんて人もそうだ。なぜ好きなことから逃げる必要があるのだ。

 

要は、自分が幸せになること、今までの幸せではないすべてを捨てると決心した場合、

自分がこれからどうなるのか先が全く見えなくなってしまうのが怖いのだ。

「失敗するかもしれない」「後悔するかもしれない」「惨めな目にあうかもしれない」

この恐れを回避するために私は言い訳を繰り返していた。

 

その恐れは手放すことができる。

例えば私は自分を大切にすることを意識することや感謝する習慣をつける大分手放せるようになった。いくつか自分を大切にすることを書いてみるとこんな感じです。

◎自分が本当にしたいことを探すこと

 私は興味をそそられたものをやってみて飽きたり、調べるのが面倒だと思えばこれは

 違うを繰り返した。見つけた今も繰り返している(笑)

◎自分がリラックスできる時間をできるだけとること

◎自分を大切にすること

・化学的な物がはいった体に良くない物をできるだけ避け、体が喜ぶご飯や今すごく食 

 べたいと体が欲している物をできるだけ食べる(私は作りたくないのですべて外食)

・適度な運動をする。

・自分がどうしたいのか自分とのコミュニケーションを図り、その本音で行動していく

 言いにくいことでも相手の気持ちを考えながら本音で伝えること

 長くなるので、これについてはまた今度きちんと書こうと思う。

◎ポジティブに考えてみること

 自分に今起きている状況はすべて必然である。自分に何かを伝えたくて起きている。

 嫌な状況でも、これはこの状況にいつも陥る原因があることを知らせてくれている

 すべては自分の本心や潜在意識と繋がり、幸せな生き方をする為のチャンスなのだ。

 

すべての問題は「愛」で解決する。

その基本が「自己愛」だ。

是非みなさん自分を大切にできているか立ち止まってみてください(*´∀`*)

 

私は看護師を辞める選択をしましたが、看護師が嫌なのではなく、患者さんたちと向き合う中で「自分の人生を生きる」というテーマを見つけ出すことができました。

どんな状況でも「こんなに人生を楽しめるなんて最高だ!」「大丈夫なんとかなるさ」と笑ってられる人生を探求するのが私の生きる目的であり、そういう仕事で誰かの役に立てる時が来たらマジ最高だなとワクワクしながらブログを書いている次第であります!

 

長くなってしまいましたが、読んでいただいてとても感謝しています!

ありがとうございました(*´∀`*)