♡楽しい人生のススメ♡~短気は損気~

「短気は損気」これは誰が作った言葉だろう。本当に上手いこと言うな。

私の人生を振り返ると7割はくらいは短気は損気が占めているのではなかろうか。

私は38年間ずっと短気で生きてきた。

母親のおっぱいから卒業するとともに誰の断りもなく暢気からも勝手に卒業したのだ。

こういう性格は生まれもったものであり、一生変わらないのだと思っていたが違うことがここ半年で判明した。

これは前回の「無職なんてこわくない~」でも書いたが(万が一気が向いたら読んでみてください)、調子が悪くなると怒りで周囲をコントロールしようという癖(上手くいかない時にでる自分の在り方とでも言おうか)にも勿論目的がある。

 

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 父親が死んだ時、私は11歳だったため11年の付き合いということになるが、この耕司という男が私の生き方に大きな影響を及ぼしたのは間違いないだろう。

この耕司という男は自営業を営んでいる一般庶民のくせに、〇クザを絵に描いた様な男だった。気の荒さで男の格が決まるのであれば一流の男であっただろうが、そんな男が家にいてもただ迷惑なだけである。

しかし、耕司がうちの家で一番力を持っていたことは事実であり、耕司が怒れば皆が耕治の前にひれ伏すのだ。唯一、空気を読まない母だけがたまに耕司に逆らい痛い目にあっていたが、それに懲りずまた逆らうのだからたいした女である。

幼少期の頃の私は、よく父の靴を磨いたりして機嫌をとり小遣いを稼いだりしていた。

耕司も私のことを可愛がっており、一緒に釣りに出かけてはお菓子を買ってもらったもんである。

子どもはバカではない。家の中の力関係をしっかりみている。

そしてその数年間で私は父親の真似をすることを選択したと思われる。

つまり、上手くいかない時は怒りで押さえつけたり、コントロールすれば自分の思い通りにいくという解釈の仕方をした。そして、本当に自分が敵わない相手に対しては耕司に接したようにすれば自分の思い通りになりやすいことも、この体験から私が私なりの解釈で学んだことだろう。

これは決して耕司の存在があったら私の性格がこうなったという事ではない。

そういうことであれば、うちの姉も同じ性格になっているはずである。

姉の場合、父をみて、こういう力でねじ伏せるやり方が人を不幸にするというイメージをもったのかもしれない。そういった場合、父親のような男性とは関わらないとか拒絶する傾向があったりする。

つまり、「その体験に対し、自分がどういう解釈をしたか」ということが重要なのであって、その体験自体が重要なわけではない。

で、私は耕司のような短気な性格になることを選択したのだが(大人になったらもうそんな事は忘れているためなぜ自分が短気なのかも分からない)自分に利になると思って選択したつもりが、邪魔で邪魔で仕方なくなる時がくるのである。なぜなら本来私が望む(理想とする)在り方ではないからである。

子どもはバカではないが、耕司の真似をした私は大馬鹿者だった。

 

勿論、短気なのだから私の人生は損気になった。

一つ例に挙げてみるとする。

ICカードがなかった時代、バス専用のバスカードというものがあったのだが、私がバスに乗った際にバスカードを入れるが何度やっても全く機械が反応しない。急いでいたこともあり、イライラして運転手さんに「どうなってるんですか?!急いでるんですけど💢」と怒りを露わにした。すると運転手さんは、感じの悪い私にも「すいません!見てみますね」と丁寧に駆けつけて下さった。・・・・が、カードを見た途端「何のカードですかこれ・・・機械が壊れるので変なことしないで下さい」と非常に恐ろしい顔へと変貌され、数倍返しの迫力で怒られてしまったのである。

よく見れば、私の入れたカードはDVDレンタルショップのカードだった。

私が相手に怒りで対応しなければ、相手もこんな怖い顔をすることはなかったであろう。ぐぬぬ・・・自分の愚かさが恥ずかしい。

 

私はよく自分がおっちょこちょいだということを忘れてしまう。

こういう内容で数倍返しで怒られたことは数知れず。

これだけは言っておきたいのだが

おっちょこちょいの人は短気であってはならない。

ぜ・っ・た・い・にだ。両方お持ちの方は短気かおっちょこちょいのどちらかを直さなければ生きて行くにはこの世は厳しすぎる。

 

で、こういうしょうもない内容から真剣な内容まで様々な状況で私は悩むことになる。

怒りで押さえつけることや非難することにより、自分や相手が傷つくことはあっても、信頼関係を築くことはまずできない。それに何となく気づいているにも関わらず、瞬時にその反応は出てきてやめることができなかった。「私は正しい」「相手のために言っている」と本気で思っていたからこそ本当に悩み、なぜこんなに上手くいかないのかと悩んだのだ。

 

そんなある日、私はスピ師匠(スピリチュアルを教えてくれた人)と婚活というかたちで運命的な出会いをした。

彼は出会って初めの頃「自分は怒らないので喧嘩にならない」と私に言った。

そんな人間いるわけがない。

私の友人も「アンタと喧嘩にならないとかアンタのこと舐めてるとしか思えないね」としれっと私をディスりながら私の意見に同意してくれていた。

 

その後その人は私の婚活相手からスピ師匠へと変わり、私は婚活をやめた。

師匠に言わせれば、「怒」とは「怒を消すために、怒をもって覚えるためにそれはある」らしい。

調べてみたが誰がこの格言を言っているのか分からなかった。まさか自分で・・・・。

末恐ろしい男である。会社経営を辞めて坊さんにでもなりたいのだろうか。

 

しかし、宇宙レベルでの考え方でいう「ワンネス(私=あなた)」を完全に自分の中にとり入れることができれば、人は怒る必要はなくなるのだろうということは私でも理解できるようになった。自分が相手だったらあんなに怒らないからな。

私がワンネスを完全に自分のものに出来た時、平和のために是非これを説いてまわろうと思うが、すでに膝の調子が思わしくない今、それまで骨健康を維持できている自信はこれっぽっちもない。

 

そもそも「自分=相手」と言われて、はいそーですかと皆が怒らないようにできるのなら、もうとっくの昔に争いもなくなり世界は平和になっていることだろう。

と前置きが長くなったので、次のブログで怒りっぽさやイライラから卒業できる方法を私なりに伝えていきたいと思います。もし興味がある方は見てもらえると嬉しいです(*´∀`*)